塚原高原×暮らし -life-

塚原高原で暮らす人々

塚原食材でできた豚汁を囲む人々。交流を目的とした様々なイベントや行事を通じて、塚原高原での暮らしを理解しあう。

3つの暮らし

実は共通の基盤の上に

人口375人の小さな集落であるにもかかわらず、塚原には3つの暮らしがあります。4世紀からの古い歴史を持つ農耕文化の暮らし、次に戦後の開拓者によって築かれた酪農文化の暮らし、そして1980年代以降の移住者によって育まれた観光文化の暮らしに分かれます。

三者三様、一見異なるこれらの生活文化ですが実は共通の基盤の上に成り立っています。それはともに塚原の豊かな自然を資本としているところです。

塚原高原より望む由布岳。由布院盆地から眺めるのとはまた趣が異なりなだらかな稜線が美しい。

イベントで販売される塚原高原野菜。湯布院町内でもその味は評判を呼び、多くの旅館やレストランなどで提供されている。

農耕の暮らし

立春の頃、鶯(うぐいす)が鳴き始め春の訪れを告げます。雪に代わって雨が降り始めると、固く締まっていた土が潤い始め春の気配に草木が蘇ります。大気中の水滴が増え、由布岳や伽藍岳は靄(もや)がかかってぼんやりとした景色・春霞(はるがすみ)となり、この頃から農耕の準備が始まります。

農を営む集落は生活や農業にとって命である水の流れに沿うように成り立っています。由布岳から湧き出る水を効率的に利用出来るよう、水路を中心に民家と田畑、かつては牛小屋が連なり、庭には山からの吹き降ろしに耐えるための防風林など、天と地の理に適った有機的な生活が営まれています。水路の壁面や家の庭壁は長年の風雪を耐え抜き今なお石積みでしっかりと残っている箇所もあります。

歩いていると途中、お地蔵様と日々欠かさずに添えられている花に出会い、日常に心の静寂と祈りがあることをうかがい知ることができます。

酪農の暮らし

立夏を過ぎると、大地は新芽は萌黄色、草は若草色、稲は若苗色とグラデーションを描きます。新緑から万緑へ変わる頃牛たちはこの雄大な牧草地の若草を食みます。

塚原の酪農文化は今3代目を迎えています。
酪農は命と向き合う仕事、生命とともに毎日の暮らしがあり、搾乳、給餌、掃除、餌作り、敷藁や種付け、出産など、昼夜を問わない牛と人間との深い関わりの中で、濃厚で美味しい牛乳が生産されるのです。

広大な牧草地の中で生命を育む暮らしがそこにあります。

夏の抜けるような青い空と鮮やかな緑が美しい雛戸(ヒナド)地区。この牧草をたっぷり食べて乳牛が育ちます。

「木屋かみの」の神野さんも塚原に移住してきた一人。作品一つ一つに、雄大な景色とそのゆっくりとした時間の中で発揮される神野さんの技術が光ります。

観光の暮らし

立秋から晩秋にかけ多くの観光客が塚原高原を訪れます。この地の観光業、宿泊業や飲食業、クラフト業などに共通しているのは、人の手が行き届く、丁寧、手仕事の範囲でできる仕事を大事にしている点です。それはこの地の豊かな自然とゆったりとした時の流れに魅了され移り住んできた人たちの生活様式、それは無理をしないほどほどの暮らし、静かに緑豊かに暮らすことに重きを置いている様子が伺えます。

これは、夜が更けると響いてくるコウロギや鈴虫の声、月夜の碧い空、朝日に光る草花の白露といった何気ない自然の一コマが、都会では決して味わえないことを知っているからでしょう。

塚原高原観光協会 店舗紹介ページ

村の風景

自然に寄り添った日々の暮らしと行事

立冬から大寒にかけ、霜や木枯らし、春のように暖かい小春日和、空っ風、降雪とつづきます。

霧島神社では甘酒祭りの準備に男衆が甘酒を仕込み、小学校の校庭は雪合戦で賑わい、民家では干し柿や漬物が並び、薪ストーブの煙突から煙が立ち、鹿が列をなして道端を歩き、猪(いのしし)や、野うさぎや雉(きじ)が餌を求めわたしたちの目の前に忽然と姿を現す、そんな冬を楽しみつつ、春の訪れをじっと待つのです。

かかあ天下祭りと言われる「塚原甘酒祭り」も大切な交流の場。地域行事を次の世代に伝え広めることの大切さ感じます。